【寝屋川市】定員割れが「寝屋川ショック」と話題になった寝屋川高校の伝統と誇り。校舎の建て替えはどうなる?

2025年3月7日に大阪府教育庁が発表した府内公立高校入試一般選抜の最終出願状況で、大阪府立高校の最終の平均倍率が1.02倍となったことがわかりました。

大阪府では、これまで公立の進学校の人気が高く、学区が無くなり、現行制度となった2016年度以降で過去最低の倍率となりました。

なかでも、寝屋川市内にある高校では最も偏差値が高く、常に高倍率で推移していた大阪府立寝屋川高校で、定員割れを起こしたことが「寝屋川ショック」として、SNSで話題になりました。

これには、私立高校の実質無償化が影響しているとも言われていますが、実際、少子化が進む中で、大阪府立高校の倍率が下がっていくのは、自然な流れでもありました。そのようななかにあっても大阪府立寝屋川高校の近年の倍率は、2023年が320名に対し、413名もの志願があり、1.29倍となる人気校でした。

そのため、2024年は定員を360名に増やしましたが、志願者は397名で、1.10倍をキープしました。

そして、2025年の「寝屋川ショック」となりますが、これは私立高校の実質無償化と、寝屋川高校特有の事情である校舎建て替えの時期が発表されたこと、また320名に減らしていた定員を昨年同様360名に増やしたままだったことから、338人の志願者がありながらも定員割れ(0.94倍)となったと考えられます。

寝屋川高校の歴史を遡ると、1909年12月6日、北河内郡門真村大字門真(現・門真市御堂町)の願得寺境内にあった茨田高等小学校跡地に、大阪府北河内郡門真村外7か町村(守口町・三郷村・四宮村・大和田村・二島村・古宮村・諸堤村)の学校組合により、学校組合立河北(かほく)高等女学校(修業年限4年)として設置認可が下りています。

認可が下りた1909年を学校創立とする伝統校であり、1911年には北河内郡立となり、1920年に北河内郡豊野村大字秦字早子(現在地)に移転したということです。

1921年に大阪府に移管され、大阪府立河北高等女学校に改称し、1924年には5年制に改編されたのち、1928年に大阪府立寝屋川高等女学校に改称、1948年の学制改革により、大阪府立寝屋川高等学校に改編され、大阪府立四條畷高等学校(旧制大阪府立四條畷中学校)との間で生徒・教員を交流して男女共学となっています。

このような経緯から、第4学区だった時代から現在まで四條畷高校とともに、難関校として根強い人気がありました。四條畷高校の本館は、国登録有形文化財となっており、改修を経て昭和9年~11年に建てられた建物が現在も使われています。

一方、寝屋川高校の本館校舎も築87年を超えていて、シンボル的な存在として、多くの卒業生にとって思い出深い校舎ではありますが、令和6年度から令和7年度に基本設計、令和7年度から8年度に実施設計、令和9年度末から11年度に新校舎建設工事、完成後に供用開始、令和12年度から13年度に旧校舎解体・グラウンド整備、完成後に供用開始が最速の予定としてグラウンド側に新校舎が建設されることが発表されました。(校長だより大阪府の発表)

今年の定員割れは、これらの事情が複合して起きたと考えられ、新校舎建設の予算も組まれていることから、寝屋川高校が今年定員割れしたからと言って廃校になる可能性は極めて低いと言えます。

大阪府に限らず、少子化により、高校受験をする人口が年々減っていることは、明らかな事実で、公立、私立に関わらず、高校の数や定員を調整していくことは今後も不可欠と言えます。

それぞれの高校が、取り組み内容で学校の魅力を高め、受験生に選ばれる学校経営をしていく時代が到来したと言えるでしょう。

3月21日は、大阪府立高校の合格発表です。寝屋川高校は、今年度まで、寝屋川市内で唯一男子は詰襟の制服、女子は昭和からのデザインのままの制服を着用していた高校ですが、次年度より制服は今のままで、日常の着用については必須でなく私服での登校も可能となるそうです。

寝屋川高校に新入生として入学する皆さんには、伝統ある寝屋川高校生としての誇りを持って、新しい礎を築いていってほしいものです。

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